スキナモノハナンデスカ?(一部追記)


私の趣味のひとつに「雑誌を読むこと」が。
お堅い経済誌から、ファッション誌・スポーツ誌・音楽誌・
PC&ゲーム誌、情報誌、某業界誌…などなど。
気になった記事はスクラップしたりしてます。
何かを知りたいという知識欲の強さゆえなんでしょうが、
精読というよりも、乱読に近い気がするけど。
ほとんど購入して読んでるので、
雑誌とはいえ一月に使うお金はそれなりにかかるワケですよ。
うう(涙)、シカオ貧乏な今の私にはツライ限り。
(しかも、シカオ貧乏って2月まで続くし・・・あうう)


それはさておき。
先日部屋の掃除をしていて見つけたのが「psiko」創刊号。
で、お約束の通り、掃除の手を止めて読んでしまうワケですよ…。
これは、多分創刊号だからってことで買ったと思うけど、
すっかり内容も存在も忘れてた。汗
その中で気になったのは、
精神科医和田秀樹さんによる「日本の『現在(いま)』を精神分析」という記事。





記事によると・・・。
精神病(内因性精神病)は二種類しかないという。
一つは、以前に精神分裂病と呼ばれていた統合失調症(シゾフレニア)で、
もう一つは、うつ病メランコリア)。


人間の心が本格的に崩壊した際に行き着くのが、
このシゾフレニアとメランコリアのふたつしかないとすれば、
正常範囲でもそのどちらかに傾いているのではないか、という仮説に基づき、
その上で、シゾフレ人間とメランコ人間というように分け、
次のように特徴付ける。


メランコ人間は、心の主役が自分で、自分が頑張り、ダメなら自分を責める。
人と同じでは嫌で競争を好むタイプである。
対するシゾフレ人間は、周囲が心の主役で、周囲に合わせる、
周囲から嫌われたりいじめられたりするのを恐れるタイプだ。
過去へのこだわりや首尾一貫性についても、
メランコ人間はそれが一貫していないと気持ちが悪いのに、
シゾフレ人間は周囲と同調していれば過去と一貫していなくても抵抗がない。


人をたった二つに類型化するのは難しいけど、
あくまでも傾向として捉えると、この分析にはなるほどなーと思う。
ちょっと面白かったので、ネットで検索。(掃除の中断は続行中。笑)
和田さんのサイトから診断が出来ます。
コチラ→http://www.hidekiwada.com/clinica_test/


そしてさらに検索してみると、面白い本を発見。
■『モノが売れない時代のバカ売れ心理学』■
   /和田秀樹(2001年幻冬社



要約すると・・・
少し前から「消費者が多様化してきた」という言葉をよく耳にするが、
物が売れない時代の中、多様化したニーズを捉えようと、どの業界も必死である。
しかし著書はこの「消費者の多様化」を疑問視し、
むしろ消費者は二分化しているのではないかと言っている。
一方は、周囲に自分を合わせることを重要と感じ、外部の世界にこだわる
シゾフレ人間」(シゾフレニア−精神分裂病の造語)、
もう一方は、自分の価値観を大切にし、自分にこだわる「メランコ人間」
(メランコリー−躁鬱病の造語)。
そして、前者は1965年以降生まれ、後者は1955年以前生まれに多いと分析。
つまり日本では社会のさまざまな場面でシゾフレ化が進行している、
と述べている。


社会のシゾフレ化を説明するのに、「メガヒット現象」が挙げられる。

CDの売上がそのいい例で、
80年代の10年間には、ミリオンセラー曲は、全部で12曲しかない。
だが90年代に入ると、一年で30曲弱がミリオンセラーとなった。
メガヒットは、音楽の世界だけに限らず、
たまごっち、ポケモンユニクロのフリースなど、
あるアイテムが売れ出すと、若者全体を巻き込む巨大ヒットになる。
売れないものはさっぱり売れず、売れるものはバカ売れする。
ただし、「シゾフレ人間」の特徴である、「横並び一色を求めるため、
マスメディアが作り上げる世論に流されやすい」ことや、
「今がすべてなので、昨日と今日でコロコロ変わってしまう」ため、
流行は巨大化し、その移り変わりも速くなるのだ。



うーん・・・確かに。
この頃の「メガヒット」って、
「なんで売れてるのか分からないけどすごく売れてるし、
みんなが持ってるから自分も!
乗り遅れないように自分も買わなきゃ!」
みたいな風潮があったように思う。
そんな気持ちで買ったものって、
買った当初はそれなりに扱うけど、ある時から急に興味が失せたりする。
・・・私が今まで手にしたモノの中で、
そんな感じに扱って来たモノって、それなりにあったと思う。
そういうのって本当はよくないことだよなあ・・・。
何かを粗末に扱うということは、
きっと自分自身の何かをも粗末に扱っているのではないか?と思う。


そしてふと思ったのが、
「音楽」は「消耗品」なのか?という疑問。
↑に出てた、たまごっちもポケモン(グッズ)もユニクロも消耗品だ。
使っていればそのうち壊れたり擦り切れたりして、
使えなくなる時が来て、「モノ」としての役割を終える。
だからかなりの度合いで「消耗品」だと思う。
・・・んじゃ「音楽」も消耗品?
厳密に区分すれば、CDという「モノ」である以上、
もちろん「消耗品」ではあるのだろうけど、
個人的には「消耗品」と区分することにはものすごい違和感を感じる。
別に、音楽が「高尚」なモノだから、という理由ではなくて。
私が耳にする音楽たちは、
時に涙し、時に共感し、時に考えさせられ、時にカラダを突き動かす、
それはいつも聴くたびだったり、ある日突然だったり。
それは「消耗」していく類のものではない。
・・・でも、昨今の音楽シーンを見ていると、
どうしても「消耗品」だとしか思えないんだけど。
そして、↓のように思ってしまう。
「音楽ってそんなモノなのか?本当にそれでいいのか?」
私は「消耗品」な音楽なら、いらないなー。



流行は嫌いじゃない。っつーか、結構好き。
新しいモノが出てくるとワクワクする。
流行を取り入れることも、もちろん好き。
でも、自分が選んでる「つもり」のそのことが、
単に流行に流されてるとしたら、ひどく格好悪い。
「人が持ってるから」とかの理由じゃなく、
周囲にあわせるためでもなく、
主体的に、ちゃんと自分の感覚で「好きなもの」選びたいと思う。
そしてそれを大切にしていきたい。