「海にうつった月の道」

シカオちゃんの詞の世界の中で、
具体的な風景描写って意外に少ないと思うのです。
心象風景は多いと思うんだけど。
そのせいか、私個人的なイメージとしては、
どちらかというと、
部屋の中から外を眺めてるか、記憶の中から思い起こしてるような感じ。
自分の部屋の中でその世界は完結している印象があります。
だから、シカオちゃんの音楽は私にとって、
ひとりで聞くものであって、誰かと共有する感じじゃない。
しかも、聞くとしたら部屋ぐらいの大きさで。
それ以下の広さだと、その世界の濃密さに息苦しくなる。
例えば、私には車はややキビシイかなあ。
シカオ好き同士ならいいんだけど、
そうじゃない人だと、聞くに聞けなかったり、空気の重さに耐え切れなくなったり。
(・・・決してエロいからではありません。笑)
ところが、今回の「PARADE」は、車の中で、
しかも他の人(ファンじゃなくても)と聞ける初めてのアルバムでした。
こんなところにも、このアルバムの「ポップさ」を実感しました。


・・・あ。話がそれてる。汗




シカオちゃんの曲を聞いていると具体的な風景って浮かびにくい。
例えば、私の大好きな「あまい果実」だと、
混沌とした感情を表現してる歌のせいか、
全くと言っていい程、私は風景が浮かびません。
あえていうならPVの映像かもしれません。
・・・まあ、曲の凄さに引っ張られすぎなんでしょうけど。
(例が「あまい果実」ってのが極端なのかもしれませんが)
これは逆に言うと、具体的な描写がなく確定されてない分、
聞き手が自由に想像でき、自由に解釈できる余地が大きい、
ともいえると思うんだけど。
だからこそ、詞から思い浮かべる情景はそれぞれ違うだろうし、
そこから自分の記憶の中の感情をリンクさせていくと、
やっぱり、詞の解釈ってそれぞれ違ってくるような気がする。
その辺も、スガシカオの詞って面白いなあ、と思う部分でもあります。


なんだか前置きが長くなってしまいましたが。
シカオちゃんの詞の中に描かれている風景の中で、
是非この目で見てみたいと思う風景がありました。
「Thank You」の「海にうつった月の道」の個所。
初めて聞いた時から、ずっと。


ホントは、仲秋の名月の日に行きたかったんだけど。
今年は10月6日で、シカオちゃんNEWS ZEROに緊急生出演した日。
関東には珍しく台風でもないのに超荒天だった日です。苦笑
(ちなみに去年はSWEET LOVE SHOWERの日でした。
つくづく「月」に縁のある人だな〜。)
なので仕方なく、翌日の7日に三浦海岸に行ってきました。
前日の天候のおかげで、雲が少なくてラッキーでした。
にしても、月って天空を移動するスピードが以外と速いのね。




「海にうつった月の道 たどれば神に近づける」 


万物を統べる「神」に、本当になりたいわけじゃない。
全てを思うがままにしたいわけでもない。
誰かに何かに、もはや心を揺さぶられたくない。
もうこんな苦しい思いから解き放たれたい。
「神」という存在になってしまえば、瑣末なことに動かされれることもないはず。
だから、時折、この道を歩んでみたい誘惑にかられる。
そう。逃げてしまえばいいんだ、とさえ思う。
・・・でも。
「逃げない」という意志を感じる。
全てを、この苦しみも自分の弱さも何もかもをあるがままに受け止める、
という静かで強い決意を、ここに。