今更ながら「二十一世紀の音霊」 その2

社長日記より抜粋

僕は何故あんなに膨大なテープを聴こうと思ったのでしょう?
何故途中で投げ出さなかったのでしょう?
400本中、399本までがすべてNGだったのです。
何故最後の最後にこのテ−プは僕の前の現れたんでしょう?
今考えてもこの出会いは不思議でなりません。
やっぱり世の中には必然ってものがあるのでしょうか?
音楽の神様が僕を試したのかも知れません。
そしてその神様は、最後に、僕にも、スガシカオにも
味方してくれたんだと思っています。

ここを読んで、やっぱり必然ってものはあるんだろう、と思いました。
必然っていうか、そのルートを通ってしか辿り着けないこと、
そして、それはあたかも偶然の連鎖のようなフリをして。


シカオちゃんが今のプロのミュージシャンとしてココにいることも、そう。
社会人経験をして、一年間の浪人生活をして、森川社長と出会って、
色んな人・スタッフに出会えたからこそ、現在があるのだと。
もし、大学卒業後にメジャーデビューしていたら?
もし、何かに引っ張られるように会社を辞めていなかったとしたら?
もし、オーガスタからデビューしてなければ?
そうしたら現在のような「スガシカオ」でいれたのでしょうか?
オーガスタにはちょっとハラたつこともあります。
(携帯サイト何とかしてよ!とか)
でも、オーガスタでなかったとしたら、
今のスタンスでシカオちゃんが音楽をできないような気がします。
シカオちゃんへの社長の愛情も感じられますしね。
(今後も商業第一主義に走らないことを切に願っています)
こうやって考えてみると、色んな「もし?」が頭をよぎります。
その「もし?」の数が多ければ多いほど、
その不思議さに驚いてしまいます。


運命ってものが、本当にあるのかもわかりません。
等しく皆にあるものかどうかもわかりません。
しかし、ただ決められた道をなんとなく辿っているだけとは思っていません。
未来は1つだとは思っていないし、
色んな選択をしながら歩いてる、と思っています。
その選択の結果がネズミ算みたいに広がっていくようなイメージ。
でも、様々な選択肢の中で、ココでしかありえないポイントでつながると、
パーッと明らかにくっきりとした1つの道が現れることがある、と感じています。
そして、きっとシカオちゃんのミュージシャンとしての道がそうなのだと。
私は今、かつての自分が憧れていた業界の一端に正社員としています。
はっきり言って、ものすごくラッキーで、横入りみたいなものです。
ここにたどり着くまでの道のりを考えると、とても不思議な気持ちになります。
新卒の就職活動で受験した時には不合格でした。
入社後に、ふと人事の人に採用理由を聞きました。
大学卒業後の経歴に魅力を感じたからだ、と言われました。
(留学もしてないし資格もごく普通です、やや少ないぐらいかも)
それまでの葛藤や苦しみや努力とかは、神様が私を試していたのかもしれません。
そう簡単に手に入らないものなのだと。
どうしてあの時、私はあのバイト募集の張り紙に目を留めたのでしょうか?
たくさんの人の中で、私だけが別の仕事で続けることになったのでしょうか?
そして先が全然見えてないのに、辞めなきゃ、と思い立ったのでしょうか?
どうして面接の直前に、別のページを開いてみたんでしょうか?
どうしてあの時、東京に来ることに躊躇がなかったのでしょうか?
今、自分がココにこうしていることを考えると、
たくさんの「?」が頭に浮かんのできます。
それと同時に、それらを経ていなければ今の自分ではなかったことに、
確信めいたものを感じています。


そして、どうして今こんなにシカオちゃんの音楽にハマっているんでしょう?
そもそも、どうして「スガシカオ」じゃなきゃいけないのか?
他にも素晴らしいミュージシャンはたくさんいるのに。
もちろんシカオちゃんのこんな経歴は知りませんでした。
デビュー当時から名前も曲も知ってたし、いい曲だなあとも思ってました。
でも、CDを買ったりするようなファンではありませんでした。
曲が流れると「あ、スガシカオだ。ふーん上手いやん」ぐらいな感じ。
しかも、何気に、最初ののライブに友達に連れられて行った事もありました。
(記憶にあまり残ってないのが非常に無念。。。)
ところが、ある日、本屋で立ち読みした某雑誌に載っていたCD評を見て、
(しかもその曲についての評ではありませんでした)
何故かもうどうしようもなく聞きたくなって吸い寄せられるように手にした
初めてのスガシカオのCD、それが「SWEET」でした。
ジャケ写も値段も見ることなく、迷わずレジに持っていっていました。
そしてその中の1曲目「あまい果実」
この曲ときちんと向かい合うのはその時が初めてでした。
イントロが流れた瞬間に、私はスガシカオにおちていました。
次の曲「正義の味方」に進むことができず、
ずっと「あまい果実」をループして聞いていました。
…そして今、あの時と同じ、いやそれ以上の真剣さでスガシカオを聴いています。
どうして、あの頃、音楽はラジオ・テレビから流れるのを耳にする程度だったのに、
本屋で、めったに読まない音楽雑誌を私は手に取ったのでしょうか?
どうして、たくさんのCD評の中から「スガシカオ」に目を留めたのでしょうか?
「あまい果実」が1曲目でなかったとしたら?
もし初めて聴いたのが他の曲だったとしたら、ここまで惹かれていたでしょうか?
やはり、辿りつくべくして「スガシカオ」にたどり着いたのでしょうか?
・・・そんな気もします。
私は音楽に詳しくないので、シカオちゃんの良さについて
音楽的な観点からとかはよくわかりません。
「あ、なんかココ、カッコイイ!」ぐらいな感じ方だし、
楽しいと感じる時には、心も体もすっかり預けてしまいます。
ただ、シカオちゃんのつくりだす音楽、そしてバックグラウンドに
とてもとても惹かれています。
でも、人の気持ちというものは必ずうつろうものです。
遅かれ早かれ情熱は冷めてしまう時がやってきます。
それを知っているからこそ、後悔したくないのです。
いつかやってきてしまうかもしれないその時まで、
全てのことに、できるだけ真剣に向かい合いたいと思うのです。
もちろん、スガシカオについても然り。


というわけでシカオちゃんこれからもヨロシクね〜。

Sweet

Sweet