世界遺産「ジャムのミナレット」


数年前からハマっていて、ずっと見てるのが
TBSで放映されている「世界遺産
見れる時は欠かさず見てきました。
(最近ネタぎれ?っぽいですが。汗)
TBS「世界遺産」公式HPはコチラ→世界遺産 | TBSテレビ


過去のOAの中で取り上げられた世界遺産の中で、
是非そこへ行ってこの目で見たいと思ったのは、
ボロブドゥール、アンコールワット・アンコールトム、ピラミッド、
マチュピチュ、そして先日世界遺産に登録された知床、
そして、ジャムのミナレット
2003年にOAされましたが、今でもその姿が強烈に印象に残っています。
っていうか、忘れられないって言った方が正しいのかな。
たった1本のミナレットで、世界遺産の中でも地味なほうなのに、
自分でもどうしてこんなに惹かれるんだろう?と思うぐらい。






「ジャムのミナレット」と言われてもピンと来ない人がほとんどだと思いますが。
ミナレットとは、世界史用語では「尖塔」。詳しくは↓を。

ミナレットは、モスクに付随し、礼拝時刻の告知(アザーン)を行うのに使われる塔である。ミナレットトルコ語のミナレ(Minare)に由来する西欧諸言語による名称で、アラビア語ではマナール(منار manār)あるいはマナーラ(منارة manāra)といい、光(ヌール)と同一語根の語であることから光塔と訳されることもある。南アジアではミーナール(مينار mīnār)とも呼ばれる。

ウィキペディアWikipedia)より抜粋→ミナレット - Wikipedia

そして、ジャムのミナレットとは、

ジャームのミナレットと考古遺跡群について

アフガニスタン、グール州のハリー・ルード川とその支流ジャーム川の合流点のほとりにあるミナレット(尖塔)。ゴール朝(グール朝)のスルターン、ギヤースッディーン・ムハンマド(在位1163年 - 1202年)が築いたとされる世界第2の高さを持つミナレットである。

このミナレット八角形の土台の上に60mの高さを持ち、褐色の煉瓦と、青色のタイル装飾、ブハラで発展を遂げた幾何学模様、クーフィー体アラビア文字の刻印などを特徴とする。このミナレットはゴール朝の最盛期であり、滅亡寸前でもあった12世紀末頃に建てられており、ゴール朝における建築技術の最高峰とも言われる。

これは後に元ゴール朝の将軍でデリー・スルタン朝を開いたクトゥブッディーン・アイバクによって建設された世界最高の高さを持つミナレット、クトゥブ・ミーナール(インド)に影響を与えたと言われる。ちなみに、このミナレットの建設の目的は明らかではなく、「凱旋記念碑である」、「昔あったモスクの残骸」など様々な説が唱えられている。(中略)

2001年のアメリカのアフガニスタン侵攻では、混乱に乗じての文化財の盗掘が行われ、遺跡も大きな打撃を受けた、またハリー・ルード川によるミナレット土台の浸透浸水の問題や、道路建設などの開発計画も唱えられており、早急な対策が求められている。なお、2002年には遺跡保護のためユネスコ世界遺産文化遺産)に登録され、問題の早急な対応を促すため危機遺産にも指定された。

ウィキペディアWikipedia)より抜粋→ジャームのミナレット - Wikipedia

TBS「世界遺産」第359回OA
http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20030713/onair.html

記憶に強烈に焼き付いてるのが、このページ冒頭の写真。


空の青と大地の褐色のみが広がる世界。
その中に忽然と現れるたった1本の褐色のミナレット
その静謐な佇まい。
建てられた時とほとんど変わらないであろう風景
全てが美しい。


何百年にもわたってそこにあって人間の営みを見続けている。
穏やかな時も、諍いの時も。
そして、人間の叡智も愚行も。


同じアフガニスタンには、バーミヤンという石窟寺院があり、
そこに石仏がありましたが、タリバンによって破壊されました。
後世に残すべき貴重な文化遺産を人間の手で破壊したことは、人間の愚行。
ただそれと同時に、内戦や英米による武力行使によって
たくさんの命が失われたのも、これまた人間の愚行。


今でも続く政情不安定のため、
ここに行くのは、未だ一般人には不可能に近いのです。
(もちろん行こうと思えばいけるんですけどね)
でもいつかこの場所に行って、あの美しさをこの目に焼き付けたい。
そして、色んなことに思いをめぐらしてみたい。


今にして思えば、あれほどの強烈なインパクトがあったのは、
建造物・風景としての美しさはもちろんだけど、
混乱した世情と思っていたアフガニスタンの中に、
ヒトを超越した
これほどの美しく穏やかな空間が存在していたことへの驚きが、
少なからずあったのかもしれない。


現地の人たちが少しでも早く穏やかで平和な生活を送れることを、
そして、あの美しい風景がこれからも続くことを願う。


この放送の撮影をされた方の旅行記はコチラ→http://www.tbs-v.co.jp/staff_heritage_afga.html

現地で感じた率直な感想が書かれています。



シカタイの中での「徒然日記」を読んだら、このログを書くに至りました。
シカオちゃんなりのやり方で「ラブ&ピース」を「19才」で表現したなら、
じゃあ、私なりのやり方って??
実際、私にできることは「忘れないこと」「考えること」「祈ること」ぐらい?
でも、「『愛』の対義語は『無視』」だとマザー・テレサも言ってた記憶が。
「無視」にならないように、
本当に最低限のことかもしれないけど、その最低限なことはやり通したい。